オフィーリア
東京から帰ってきました。
スクーリングの合間を縫って、東京都美術館で「フェルメール展」を。
そして渋谷文化村で「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」も訪れることができました。
山手線に乗っていたら、車内で「オフィーリア」の宣伝ポスターが張ってありました。
緑と花が生い茂る清流の川に、うら若き乙女が口を半開きにして、沈んでいくその姿は、えらく私の心を揺り動かしました。
エドワード・ホッパーの絵と同じで、特別な感情、エモーショナルな気持ちにさせてくれます。
「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」は、Bunkamura ザ・ミュージアムだけあって、20代の若さ溢れる客層が中心でした。
感情が感性が豊かなうちに、良画を見ることは人生の糧にもなるでしょうね。
私もちょうど山手線に乗っていたときに、1991年当時の「シューゲイザー(足先を見つめながら、夢のような甘美なギターロックを演奏する人たち)」のイギリスのロックバンド・チャプターハウスのアルバム「ワールプール」の1曲目と2曲目の「Breather」と「Pearl」に聞き入っていましたので、その音楽とともに「オフィーリア」の絵が忘れられず、「オフィーリア」を眺めていると自然に頭の中でチャプターハウスの音楽もなって、まるで夢のような世界に私を引き入れてくれます。
「そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れのうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように、あの憐れな牲えを、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって」─「ハムレット」第四幕より
(シェイクスピア『ハムレット』 福田恆存訳より引用)
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