最後の彼岸花
村上春樹さんの本を読んでいたら、フィッツジェラルドというアメリカの作家が気になって、新潮文庫から発売されている「フィッツジェラルド短編集 野崎孝訳」を購入してしまいました。
しばらく放置していたのですが、村上さんの短編集「象の消滅」を読み終えたので、巻頭にある「氷の宮殿」を呼んでみました。
海外の小説も面白いですね。
翻訳した野崎孝さんはもうお亡くなりになられていますが、弘前出身と紹介されていましたので、とても親近感を持って読むことができました。
「氷の宮殿」は南部に住んでいるサリー・キャロル・ハッパーという19歳の若さ溢れる少女が主人公です。
ジョージア州・タールトンという町に住んでいるサリー・キャロルは、ノース・キャロライナ州のアッシュヴィルのハリー・ベラミーと婚約を誓い交際しています。
生まれ育った北部の町から四日間の予定で、ここ南部の町にハリー・ベラミーがやって来ました。
明日ハリーが帰るという最後の日の午後に、二人は散歩に出かけました。
そしてサリー・キャロルは、二人の足が知らず知らずのうちに、彼女が好きでよく行く場所の一つの共同墓地に向かっていました。
その中に、南部の兵隊さんのお墓─「無名戦士」─と書かれただけの十字架を見たときに、ハリーの目には涙がいっぱい溜まっていたのでした。
「わたしには何もかもがとてもなまなましく感じられるのよ、ダーリン─この気持ち、とても分かってもらえないだろうけど」
「分るよ、美しい気持ちだと思うよ」
「ちがう、ちがう、わたしじゃない。美しいのは彼らの方よ。─わたしはその遠い昔の時代をわたしの中に蘇らせようと努めているだけ。そりゃあの人たちは、ただの平凡な兵士だったにきまってる。そうでなかったら、「無名」のはずがないんですもの。でもね、あの人たちはこの世で最も美しいもののために死んだのよ─今は亡き南部のために、分るかしら」彼女は言葉を続けた。
その声はなおもかすれて、目には涙が光っている。
「みんながそういう夢をいろんなものに託して持っていて、わたしも子供のときからずっとその夢を胸に抱いて大きくなってきたというわけ。ちっともむずかしいことじゃなかったわ。だって、みんな死んでいるだし、幻滅させられることって一つもなかったんですもの。わたしはある意味では過去の美しい貴族階級の規範に添うように生きようとしているのかもしれない─ここにはまだそういうものの名残りがいくらか残っているのよ。まわりがみんな死んでゆく古い庭の中に独り咲き残った薔薇の花のように─男の子たちの中には、時代遅れな宮廷趣味や騎士道精神みたいなものを身につけている人が今でも何人かいるし、隣に住んでいた元南軍の軍人だった人や、それから黒人の年寄りたちからも、子供の頃によくそうした話を聞かされたものよ。ああ、ハリー、ここには何かがあったのよ、たしかに何かがあったのよ!あなたに分ってもらうことはできそうにないけど、でもあったことに間違いないわ」
─ここにはまだそういうものの名残りがいくらか残っているのよ。まわりがみんな死んでゆく古い庭の中に独り咲き残った薔薇の花のように─
このフレーズが素敵なんです。
我が家の庭の季節外れの彼岸花を見るたびに、このサリー・キャロルの言葉が胸に刺さります。
<2008年10月6日 我が家の彼岸花 「秋雨に打たれてここに独り」>
そういえば、くるりの「ばらの花」も名曲でしたね。
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